トリートReトリート

世界全体とわたくしが同時に幸福でありますように。ひきこもり修養所。

Newひきこもり村。がみる夢は

Newひきこもり村。は夢をみる。

虹色にかがやく壮大な夢をみる。

 

ぼくらは穏やかな言葉をかわす

「おはようこんにちはこんばんはおやすみ」

 

日本中にぼくらの友達がいる。

世界中にぼくらの友達ができる。

 

Newひきこもり村。は夢をみる。

白色にかがやく壮大な夢をみる。

 

世界中にはりめぐらされた糸をたどって

ぼくらはみんな救われる

 

だって、ぼくらは何もしないということができる。

だって、ぼくらは待つことができる。

 

Newひきこもり村。は夢をみる。

黒色にかがやく壮大な夢をみる。

 

働かなくても罪悪感は1ミリも感じないよ。

何もしなくても幸せだけを感じて生きているよ。

 

ひきこもりになっても大丈夫だよ。

と世界へむかって発信しつづける。

 

ぼくらはすべてを拒否しすべてを受け入れる

群れることはひきこもること。

ひきこもることはひきこもること?

祈りのススメ「主の祈り」

日本には「祈る」という習慣がない。両親がクリスチャンだったり、また仏教に興味があって「慈悲の瞑想(祈り)」を知らなければ、どう祈れば良いのかも分からないと思う。

 

僕は最近、仏教の「慈悲の瞑想(祈り)」と「聖フランシスコの平和の祈り」、それからイエス・キリストがこう祈りなさいと教えた「主の祈り」を毎日、唱えている。

おかげで僕は32歳無職の学歴職歴なしにも関わらず、そんなの関係ねぇ!というぐらいに今、幸せである。オッパッピー。

 

しかし祈りを唱えたからといってすぐ幸せになれるかは分からない。祈ろうと思うのは意識であるけれど、祈るのは無意識を含めた私である。だから、意識と無意識がケンカしている人は、祈ってもなかなか効果は感じられないと思う。むしろ抵抗感があって辛い。

 

しかしそれでも良い。ただ毎日祈り続けるだけでいい。残念ながら意識では効果をなかなか感じられないとしても、祈りの力は無意識に確実に働いている。なぜなら無意識は言葉で出来ているのだから。

 

意識では幸せになりたい!と誰もが思うのに、なかなか幸せになれないのは、無意識のなかに実は不幸になりたがっている自分もいるからだ。だから、幸せを感じたかったら、その個人的無意識の呪いを解かなくてはいけない。その一つの方法が祈りです。

 

それでは、どう祈れば良いのか?それはイエス・キリストが聖書のなかで直接教えてくれている。

あなたは祈る時、自分のへやにはいり戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は報いてくださるであろう。

マタイによる福音書。第六章六節。

あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存知なのである。だから、あなたがたはこう祈りなさい、

天にいますわれらの父よ、

御名(みな)があがめられますように。

御国(みくに)がきますように。

みこころが天に行われるとおり、

地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの食物を、

今日もお与えください。

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、

わたしたちの負債をもおゆるしください。

わたしたちを試みに会わせないで、

悪しき者からお救いください。 

クリスチャンじゃないと腑に落ちない部分もあると思うけど、この祈りはイエス・キリストが教えただけあって、間違いないと思う。祈りを唱えることをみんなが習慣にしてもらえたら、僕はすごく嬉しく思う。

映画「オン・ザ・ロード」そしてディーン・モリアーティだけが残った

 映画「オン・ザ・ロード」を観てきた。この映画の原作は「路上」。

『路上』(ろじょう、原題:On the Road)とはジャック・ケルアックの小説。作者が自らの放浪体験を元に書き上げた自伝的内容の小説である。

 主人公のサル・パラダイス(実在ジャック・ケルアック)と破天荒なディーン・モリアーティ(実在ニール・キャサディ)を中心としたロードムービー

 

物語の始まりはサルの父親が亡くなったあと、しばらくして立ち直りかけていたころにディーンと出会うことから始まる。

 

若き作家のサルは狂った人が好きだ。ありふれたことを言わない。理解できる行動をとらない。そんな人がサルは好きだ。ディーンはまさにサルにとって、そんな人物だった。人の車は平気で盗むし、恋人とふたり裸で友達を出迎える。

 

初対面からそんな破天荒な奴だからサルはディーンのことを会ったそばから大好きになる。けれどディーンと関わりたいと思ったのは、そういう作家としての興味ではなくて、小さいころに亡くなった兄のことを重ねたからだった。

 

ディーンとサルとその仲間たちは広大なアメリカを旅するわけだけど、一体人はなぜ旅をするのだろう?一体何を求めて旅をするのか?

ディーンは幼いときにいなくなった父を探していた。

サルは亡くなった兄を重ねていたディーンと旅すること自体が目的だったのかもしれない。

 

ディーンの旅路を振り返ってみると、恋人メリールウやサルや仲間たちとの自由な旅。それからカミールと出会い子供も生まれて家族をつくる旅の中断。しかしカミールは退屈と不自由を感じているディーンに対して、家を追い出す。ディーンはそこから父を探しにいく旅にでる。

 

主人公のサルの旅路はディーンに寄り添うことだから、結局はみんな父を探す旅なのかもしれない。

 

ところで、「オン・ザ・ロード」はアメリカの話である。アメリカといえば、キリスト教の影響が強い。キリスト教では神様のことを「天にまします我らの父よ」と祈り呼びかけるように、父=神様ともいえる。

 

ディーンは自分の生き別れた父親を探してはいたけれども、同時に神様を求めて旅をしていたのではないだろうか?そしてサルもそれは同じだったのかもしれない。なぜならディーンの中に「聖性」をみていたのだから。

 

ディーンの聖なる部分は、一般倫理を超えている。車は平気で盗むし、恋人メリールウを友人であるサルと一緒に抱きたい望みなど。しかしここで一度、一般社会の常識を疑ってみよう。

 

たとえば、車ひとつとっても、一体それは本当は誰のものなのか?所有し独り占めするのは良いことなのか?という観点からみれば、所有することが本当に良いことなのか解らなくなる。それを恋人にまで広げ、やすやすと飛び越えるディーンはやはり聖性を帯びてくる。

 

そんなディーンは結局、普通の望みをもつ、みんなの期待を裏切った。

メリールウは実は普通の家庭を欲していたし、カミールだってそうだった。サルもこんな堕落した旅はいつまでも続けられずに、普通の世界へ戻っていった。

 

そしてディーン・モリアーティだけが残った。純粋なままに。父を求めて。

苦しみを滅するブッダの聖なる4つの教え

ブッダが悟りをひらいた後に、まず語ったことが四聖諦という教えであったという。四聖諦とは

 

「苦しみとしっかり向き合い(苦諦)、その原因を知り(集諦)、正しい方法で取り組みなさい(道諦)。さすれば、誰もが苦しみを滅することができる(滅諦)」

苦しまなくて、いいんだよ。

苦しまなくて、いいんだよ。

 

 24Pより

 

の4つの教えである。プラユキさんによれば8万4千もあるブッダの教えのすべてが、この四聖諦に凝縮されているとまで言っています。

 

この四聖諦を僕なりを解釈してみようと思います。

 

まず苦諦

これは苦しみを明らかにすること。生きていることは苦しい。老いていくことは苦しい。病気は苦しい。死ぬことは苦しい。生老病死、すべてが苦である。

たとえ運良く、今は若く健康で死が遠くにあり、生きているのが楽しくて仕方ない人であっても、怒り、憎み、恐れ、絶望、不安、焦り、などなどネガティブな感情をひとつも感じずに生きていることはできないでしょう。その苦しみを明らかにすることが苦諦です。

 

次に集諦

それならば一体その苦しみはどこからくるのだろう?と自問していくこと。これは自分で探ってその感情にいきつき感じつくさなければ意味がないのですが、結論からいってしまえばそれは悲しみです。Macに入っていた辞書にもそうはっきりと書かれていました。

 

じひ1【慈悲】

① 〘仏〙 仏菩薩の衆生(しゆじよう)をあわれむ心。楽を与える慈と苦を除く悲とをいう。

 

「苦を除く悲」と。つまり自分の抱えているすべての悲しみを解かすことができたなら、苦は滅すると。

 

集諦というのが4つの教えのなかでも一番重要な部分だと思うので、ここを詳しく書いていこうと思います。

 

なぜ悲しみが全ての苦を滅することができるのか?

それはすべてのネガティブな感情の源が「悲しみ」から発生しているからである。怒りも憎しみも、恐れも、絶望も、不安も、焦りも元をたどれば「悲しみ」に行き着く。その前には大事な「孤独」と「罪悪感」もあるけれど、結局はそれらも悲しみである。

 

例えば怒り。怒りは誰かに向けられるものだけれども、その前に生じた内なる悲しみを思い出して欲しい。誰かに理解して欲しいのに理解しようともしてくれなかったり、慰めてもらいたいのに怒られたり、愛されたかったのに無関心でいられたり、ホントは大切なものを与えてもらいたかったのに、何も与えてもらえなかった悲しみがないでしょうか?

 

僕にはあった。認めたくないかもしれないけれど、みんなにもあるでしょう。生きてるのだもの。僕だって憂鬱と恐怖で人生がまみれていたけれど、悲しみはないな。なんて思っていたくらいです。そんな自分はなんて冷たい人間なんだろうなんてまた悩んだり。でもこのことにハッキリと気付いて認めたら、溢れるように涙が出てきました。

 

このように怒りはほんの一例だけどすべてのネガティブな感情もたどってみれば、だいたい「孤独」か「罪悪感」そして最後に「悲しみ」の結果として出ているのがわかる。

 

そうと解ってしまえばこちらのものです。あとは「悲しみ」を感じ尽くせば固まった悲しみは解けていきます。そのときに涙がでるのでしょう。「千と千尋の神隠し」級の涙がでます。そして流れている悲しみはもう自他を苦しめる感情にはなりません。むしろ自他を救うものに変容します。

 

ですから「悲しみ」が一番大事な感情なんだけれども、悲しみなど認めんぞ!という自分を守ろうとする心理的反応が、豊かに流れている悲しみを固まらせてしまうんでしょうね。

 

というわけで、すべての「内なる悲しみ」を解かすこと。それが苦を滅する唯一の道だと思います。「内なる悲しみ」ですから、別に誰かに怒りをぶつけることもしなくていいし、外でワラ人形に五寸釘を打ち込む必要もまったくなく、自宅でひとりこっそりとできます。苦しみと癒やしの源泉の悲しみに立ち戻り、ただむせび泣けばいいのです。ひきこもりの僕にもできるとても有難い教えです。ブッダよ、ありがとう!

 

追伸

4つの教えといいつつ、2つしか書いてないのをみなさんはお気づきだろうか。簡単にだけど、あと2つは道諦と滅諦です。正しい8つの道(八正道)を行けば、苦しみは滅することができるよ!ってことです。

 

でも「内なる悲しみ」をすべて癒やすことができない限り、八正道は正論すぎて苦しみの真っ只中にいる状態では、難易度インフェルノの無理ゲーというレベルなので、やっぱりまずは集諦からアプローチすべきだと思います(効果的なアプローチ方法は今度「ブッダとイエスとキネシオロジー」にて書いてみたい)。そして集諦のプロセスをすべて終えたらようやくスタート地点に立てるんだと思います。そこからようやく本当の人生が始まるはずです。そしてそこは同時にゴールだった!?と気づくのかもしれません。

 

最後に自分なりにアレンジした慈悲の瞑想をします。

 

これを今、読んでくれている方がうちに抱えている

悲しみのすべてが解けますように。

これを今、読んでくれている方がうちに抱えている

寂しさのすべてが解けますように。

これを今、読んでくれている方がうちに抱えている

罪の意識のすべてが解けますように。

 

私が幸せでありますように。

あなたも幸せでありますように。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

合掌。

仏教はオレの苦悩を救えるか?

どうもご無沙汰しております。今年も終わりに近づいていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。充実した一年を過ごすことができましたでしょうか。

 

僕の今年1年は・・・このブログタイトルがもう物語っています。今年最後のエントリが「仏教はオレの苦悩を救えるか?」ですよ。一体、どこの星の話ですかコレハ。

 

というわけで、今年もなかなか苦悩してた年でした。前半はそこそこ調子良かったんですけどね。「Newひきこもり村をつくるよ!」って意気込んでみたり、飯野賢治さんの追悼イベントに参加してみたり、出雲大社へ旅行したりと。いや、まぁそこそこ元気だった。

 

ところが、出雲大社旅行あたりから何だか心に暗雲が立ち込めてきて、帰ってから一気に落ち込んでしまった。そこからはもう生き地獄ですよ。おなじみの極度の対人恐怖に陥り、ケータイが怖い!鳴らない携帯なのに怖い!もう怖すぎるから電源を落としておこう。という始末。

 

対人恐怖だけじゃなく、うつ状態もひどく一日中寝ていることがほとんどでした。終いにはクリニックにさえ行けなくなり、薬も飲まなくなったせいで離脱症状にも苦しむはめになりました。

 

それでも、何とかこのひどい状態から抜け出したく、ここ数年日本でも流行っているブッダが教えたという瞑想、ヴィパッサナー瞑想について、ちょっと真面目に取り組んでみようと本をいくつか買ってみました。

 

『「気付きの瞑想」を生きる』プラユキ・ナラテボー

『ブッダの幸せの瞑想』ティク・ナット・ハン

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』ウィリアム・ハート

『アップデートする仏教』藤田一照、山下良道

 

それから仏教や瞑想法は知るだけじゃなく、実践して体感しなくては意味がないので、毎日1時間ぐらい瞑想にも取り組んでみました。

 

やってみたのは、呼吸を観察するという瞑想(アーナパーナ・サティ)と、ゴエンカ式の体の感覚をみていくというものです。この2つの瞑想をトータルで、RPGをクリアするぐらい(笑)はやってみました。

 

結果、解ったことは呼吸に意識をむけてあげると、呼吸がかなり深くなるということ。数えてみると一分間に3回ぐらいしか呼吸してなかった。そしてその状態からさらに進んでついに会得した真理は、瞑想をしていると足がしびれ顔とかが痒くなってくる!ということでした(どうでもいい)。

 

というわけで今年、ゲームはクリア(「The Last of Us」や「BEYOND:Two Souls」)できても、仏教でクリアにはなれなかったわけですが、なんとかこうしてブログを書けるぐらいには調子を取り戻してきています。これは最近クリニックに通院しなおして試してみている、ラミクタールというお薬のおかげだと思います(勝手に断薬とかダメだね、ゼッタイ)。

 

そんなわけで西洋医学にちょっと救われたので、もう仏教はいらないか?というと、そうでもないわけで。最近発売された「アップデートする仏教」を読んだり(おもしろかった!)、坐禅や慈悲の瞑想などを無理のない程度に実践しているところであります。

 

それではちょっと早いですが、今年もお疲れさまでした。良いお年を。

NEET株式会社の説明会Ustを見た

6月11日(火)16:00〜行われた、NEET株式会社(仮)という謎の会社説明会のUstをみました。

 

「全員がニートで、全員が取締役|NEET株式会社[仮称]」

http://neet.be/

 

全ニートが全社長って訳がわかりませんが、サイトをみると真面目なプロジェクトのようです。

 

参加には現地&ネット共に事前申し込みが必要とあったので、一応どんなものかと申請してみたのですが、申し込みが多数あったせいで対応しきれなかったようで、結局案内メールが僕にはきませんでした・・・。

 

とはいえ、Twitterで検索したらURL貼られてた(笑)事前申し込みとは何だったのか、まっいっか。

 

説明会Ust録画。

http://goo.gl/0ZAGJ

 

ということで放送みてましたが、内容は本当に今のところ何もなく。0から考えていきましょう。という、そんな感じなのに報酬をどうするかとか上場とかそんな話も多くちょっとゲンナリ・・・。

 

とはいえ会場にはおそらく100人ぐらいの参加者。申し込みはネット中継参加者合わせて1000件もあって、放送時に用意されていたという掲示板は同時一斉アクセスでダウンするくらい、なかなか盛況だった模様。

 

やっぱり人がそれだけ集まると、会場にもUst中継参加者にも、面白いなぁと思える人が何人かいました。

 

ただこの大人数で何かをやるのは、すごく大変だろうなと思った。個性的な人おおそうだし(笑)

 

誤解を恐れずに言えば1000人という人が集まって何かやるその前に、まずワンコインでもみんなのために募金するのもいいんじゃないかと思った。組織としてまとまるためのお金の使い方として。

 

実益としても、もし1000人が500円を月に一度でも募金すれば50万円ですからね。もちろん何もなく単に募金募ってもそこまでは集まらないだろうし継続もされないだろうけど、募金自体がネット上のコミュニティ制作や運営費、またリアルオフィスや設備費に使っていくことを明示すれば、結構おもしろいことが起こりそうな気がします。

 

僕自身は「NEET」より「ひきこもり」に思い入れがあるので、これから作る予定のゲーム的コミュニティサイト「Newひきこもり村。」を面白そうだから募金してもいいよ!と思えるようにしていきたいと思う。

出雲大社に行って蘇った本殿に参拝してきたよ

5月30(木)〜6月1日(土)島根県に行ってきました。

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島根県立美術館のお外にあったウサギのオブジェ。島根=出雲大社古事記=因幡(いなば)の白兎!ということで、なるほどそれでこのオブジェがあるんだ。と確信し、得意げに母とその知人に物語を語ってやった。その後、美術館の人に母が「あのウサギは因幡の白兎と関係が?」と質問したら「あー関係ないですね」とアッサリ言ってて驚愕した。えー。

 

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宍道湖(しんじこ)の夕日。一緒にみたのは母とその知人のおばちゃんという、ロマンティック要素ゼロのシチュエーションで早くホテル行って一人で休みたい・・・と思ってたけど、夕日に罪はない。というわけで・・・

 

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ゴリラ。

 

 

 

 

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二日目は60年に1度の平成の大遷宮ということで、様々なイベントが行われている出雲大社に行ってきました。これは大国主と幸魂奇魂(さきたまくしたま)のオブジェ。

 

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そしてこれが修繕が終わり、大国主の命が帰ってきた本殿!(裏側だけど)
正面は表は人が多く本殿もよくみえなかったので写真は撮らず、ただ蘇った本殿と大国主に参拝してきました。


参拝したあとは夜からメインのイベント。画家マークエステルの絵を使った映像と、神楽、雅楽、ダンスの公演をみたけど多彩な感じで楽しめた。神楽も雰囲気あったし、雅楽(東儀秀樹と母、姉)も初めて聞いたけど良いね。

東儀秀樹 - 越天楽幻想曲 - 龍笛独奏 with Synthesizer - YouTubehttp://www.youtube.com/watch?v=YSob43EFGPI


ダンスの感想は書くと長くなるし伝えることもできないので書かないけど、【ダンサー】菅井円加、小尻健太、森山開次【和太鼓】佐藤健作、みんな素晴らしかったです。