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トリートReトリート

世界全体と私が同時に幸福であるための、ひきこもり修養所。

今のままで良いと思いながら「やる気」はでるか

エッセイ

最近、いまいちやる気がでない。そんな自分をダメだと思う。かといってこのやる気のない自分を否定したとしても、やる気がでるわけでもない。ただただ苦しいばかりである。理想をいえば今の自分に安住しつつも、情熱をもって作業に取り掛かりたいのだけれども、そんなことは果たして可能なのか、考えてみたい。

 

まず、なぜ「やる気」がでないのか?「やる気と」は何か?を考えたい。

やる気というものは何かをやることで得られる「報酬を目的にしたやる気」と、ただやる事自体が「楽しくてやるやる気」があると思う。

熱中するにはやはり報酬を目的したやる気ではなく、それ自体が「楽しくてやるやる気」を持つことが必要だろう。

 

それだから僕が今、物事に対してやる気を少し失っているのは、作業をやることで何かを得たいと思っているのだろう。何かを得たいと思っているということは、今の自分には何かが足りないと思っていることだから、なかなかそんな自分に安住することができず、何となく毎日追い立てられてるような気がして苦しいのかもしれない。

 

けれども自分を否定して向上していく道というのもやはりある。というか、そういう道しかないように思い込んでいる気がする。前に進むために、今の自分ではダメだと強く思い、そのパワーでもって前に進む。一歩進んでも二歩進んでも絶えず自分を否定し、さらに前に進む。さながら苦行者のごとく。

 

しかしやはり僕は苦しいのは嫌だ。楽して生きたい!「頑張って生きるのが嫌な人のための本」を熱心に読むような人間なのですよ。それに僕は褒められて伸びるタイプなんです!自分を否定されると前に進むパワーなどにはならず、余計やる気がなくなって、涅槃のポーズで永遠ぼーとし始めますよ!?だから僕は今の自分を否定せず、まず自分に安住したい。自分は今のままで良いのだと思いたい。

 

しかしその思いを持つと、前に進むためには今の自分を否定しなければという思いとぶつかってしまうんじゃないかと思う。それでなかなかそう思えない自分になるのだ。

安住とやる気や向上心は両立するのか?それが問題だ。

 

ヒントは遊びにありそうだ。子供のとき僕は夢中でボールを蹴っていた。遊んでるうちに自然とサッカーが上手くなった。上手くなろうという意志さえもなしに。ボールと戯れているうちに自然と上達した。

 

この幼子だったときに戻れれば良い。何かを得ようとするのではなく、ただそれと戯れる。そういうふうに生きていきたい。

 

 

頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン

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