ゲームと一体化した男、それを外から眺める私
僕はここ去年の夏から、朝起きたら夢をみたら夢を書き出し、夢を覚えてなかったら、そのときに浮かんでくる思考を書き出すことから一日を初めている。
夢に関しては、僕はユングなどの影響もあり無意識からのメッセージ(手紙)として捉えているので、メル友を持たない僕は夢に対して返信をしたりしてるのだけど、それを今日は恥ずかしながら公開してみた。
2013/03/11 7:50
夢ノート
「ゲームと一体化した男、それを外から眺める私」
ゲームの世界で自キャラと完全に同一化し、あらゆる敵の出現パターンを体に叩きこみ、現れた瞬間倒している男がいる。男はゲームに溶けこんで、まるで神にでもなったかのように驕り高ぶっている。
私は外側からその姿をみている。この男は何もわかっていない。真にすごいのは、その世界を作ったものじゃないか?そう思いながらも、その男の能力に感心せざるおえない。羨ましい、嫉妬に近い感情が起こる。
蔑みながら羨ましがっているそんな私がいた。
♦夢への返信
僕は飯野賢治の死を契機に、よりはっきりと原点に立ち返りました。僕はゲームクリエイターになりたかったのです。ゲームとは仮想空間を作ることです。そこに仮想空間なりの目的と世界の法則(ルール)を設定し、その中で自由に遊んでもらう。そんな仮想空間を作ることがゲームクリエイターになることだと思っています。
ゲームは映画や本との違いは、やはり自分の行動が世界に影響を与えることです。映画や本の素晴らしいところは同じ物語をみても、受けの感じ取り方、面白がり方、考え方がいろいろあるところだと思います。
ただ映画は一方的に時間が流れていきます。本とゲームは自分が読み進めない限り、プレイして攻略していかない限り時間は進みません。
僕は何を永遠と説明しているのでしょうね。そんなことはもう知っているし、知らなくてもいいことですね。
僕はとにかく原点に還り、ゲームを作ろうとしている。仮想空間を。「Newひきこもり村。」を。けれど、そこにいるのはよりゲームをプレイするうまい人なのですね。
これは僕の問題でもあるけれど、やはり「ひきこもり現象」の深い問題ですね・・・。ひきこもる人はその自意識過剰と内向的性質により、ひきこもりサイトでもひきこもってしまうジレンマ。同じひきこもり心性を持つ人同士が集まっても、より内向性の強い人は相対して自分を出すことをためらってしまう。
黙して語らずただ在ることに一番価値がある。その具現として、発言したらポイントを逆に下げるというアイデアが今、浮かびました。今までコミュニティを活発化させるためには、発言したら個人ポイントもグループポイントも加算する方向で考えていたけれど、単に加算じゃなくて発言することで減算することもありだなと。
その前に一番はじめに毎日のように来てもらうこと。そこにはまずログインするとチリン♪とポイントが入る。それが一番大きいポイントで、いくら頑張ってたくさん発言してもそれを上回ることはなく、逆に減ってしまうこともある。
とにかく「Newひきこもり村。」なのに、ひきこもり心性を否定する作りであってはならない。心を静かに胸に秘め続けることの価値を大事にしたコミュニティになるためのシステムを構想したい。
今日も大事な気付きとアイデアをありがとう。感謝と信頼をKeitoku。2013/03/11 8:24