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トリートReトリート

世界全体と私が同時に幸福であるための、ひきこもり修養所。

「ハンナ・アーレント」座談会で浮かんできた4つの問い

映画「ハンナ・アーレント」の座談会に参加してきた。

ハンナ・アーレントユダヤ人哲学者で、アイヒマン裁判で衝撃的なレポートを出して、世界を震撼させたという人。

なぜ世界を震撼させたかというと、ユダヤ人大虐殺に深く関わったアイヒマンは怪物などではなく、平凡な役人だと言ったから。

 

アイヒマンが凡人なら誰もがアイヒマンになる可能性があるということになる。

そこで、

 

・アイヒマンにならないためにはどうすればいいか?

 

という問いが生まれる。アイヒマンが生きた社会は戦前の日本のように、全体主義の時代だった。全体主義とは個人より全体を重んじること。全体主義になっていくとアイヒマンになる可能性もでてくるのだ。そこで次の問いが生まれる。

 

全体主義になっていくのはなぜか?

 

全体主義は今の世の中にもある。学校のクラスがまずはじめに全体主義のはじまりとしてある。そこでは個人が自由に発言することを制限される。全体のまとまりのほうが重要なのである。学校の目的はもはや学問をやることではなく、働くことができる人を作ることがメインになってしまっている。企業のニーズに答えるために、だから多くの企業も全体主義である。どの企業も従順な人が欲しいのである。それは効率的だから。仕事を素早く効率的にするには、全体主義が楽だから。

 

それではこの個人を犠牲にして成り立っている全体主義にならないためには、一体どうすればいいのか?映画「ハンナ・アーレント」では友人関係の自由な議論の場を描くことで表現されていた。

言い換えれば公共性が大事だと。公共性とは全体(共同体)と対になる概念で、簡単にいえば、人それぞれが言いたいことを言えるということ。そういう空間があれば、全体主義に陥らずにすむというのだ。

 

しかしこの公共性の空間を作るというのは、なかなか難しそうだ。まず1人1人が自分の頭でしっかりと考え意見を持たなければならないし、それがたとえ間違っていても公に発言する勇気も必要になってくる。当然、自分の考えと違った人が出てくるから、それを寛容に受け止める力も必要となってくる。思考、勇気、寛容。人間として必要な大事な要素を備える人たちが集まって、ようやく公共性のある空間となるわけだ。

 

それにしてもこの公共性のある空間では、それぞれが自分の意見をいうわけだから、ある意味まとまりがない。だからまとまって何か事をするというときは、ずいぶん非効率だろう。アイヒマンを絶対的な悪としてたて、それを共通の敵としてまとまったユダヤ人たちとは対称的に。この

 

・公共性をもった空間で意思決定はどうするのか?

・共通の敵を作る以外でまとまりを作れるのか?

 

公共性を保ちながら、何か決定し実行することもできるようになるには、どうすればいいのか?それはまず、それぞれが十分に語り尽くすことが重要なようだ。まだ言いたいことがあるのに、途中で区切って多数決で決めるようなことはよろしくない。とにかくそれぞれの言い分を言いたいだけ言ってもらったあとに、決める。いろんな意見がでる中で、あらたに課題が生まれてこれば、そこから何か生まれる可能性もある。一見非効率的だけれども、いろんな可能性が生まれる場が公共的空間になる。まとまりは何か敵をしたてなくても「重要だったり面白いテーマ」を立てることことができれば作れるんじゃないかと思った。