祈りのススメ「主の祈り」
日本には「祈る」という習慣がない。両親がクリスチャンだったり、また仏教に興味があって「慈悲の瞑想(祈り)」を知らなければ、どう祈れば良いのかも分からないと思う。
僕は最近、仏教の「慈悲の瞑想(祈り)」と「聖フランシスコの平和の祈り」、それからイエス・キリストがこう祈りなさいと教えた「主の祈り」を毎日、唱えている。
おかげで僕は32歳無職の学歴職歴なしにも関わらず、そんなの関係ねぇ!というぐらいに今、幸せである。オッパッピー。
しかし祈りを唱えたからといってすぐ幸せになれるかは分からない。祈ろうと思うのは意識であるけれど、祈るのは無意識を含めた私である。だから、意識と無意識がケンカしている人は、祈ってもなかなか効果は感じられないと思う。むしろ抵抗感があって辛い。
しかしそれでも良い。ただ毎日祈り続けるだけでいい。残念ながら意識では効果をなかなか感じられないとしても、祈りの力は無意識に確実に働いている。なぜなら無意識は言葉で出来ているのだから。
意識では幸せになりたい!と誰もが思うのに、なかなか幸せになれないのは、無意識のなかに実は不幸になりたがっている自分もいるからだ。だから、幸せを感じたかったら、その個人的無意識の呪いを解かなくてはいけない。その一つの方法が祈りです。
それでは、どう祈れば良いのか?それはイエス・キリストが聖書のなかで直接教えてくれている。
あなたは祈る時、自分のへやにはいり戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は報いてくださるであろう。
マタイによる福音書。第六章六節。
あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存知なのである。だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、
御名(みな)があがめられますように。
御国(みくに)がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、
今日もお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
クリスチャンじゃないと腑に落ちない部分もあると思うけど、この祈りはイエス・キリストが教えただけあって、間違いないと思う。祈りを唱えることをみんなが習慣にしてもらえたら、僕はすごく嬉しく思う。