苦しみを滅するブッダの聖なる4つの教え
ブッダが悟りをひらいた後に、まず語ったことが四聖諦という教えであったという。四聖諦とは
「苦しみとしっかり向き合い(苦諦)、その原因を知り(集諦)、正しい方法で取り組みなさい(道諦)。さすれば、誰もが苦しみを滅することができる(滅諦)」
24Pより
の4つの教えである。プラユキさんによれば8万4千もあるブッダの教えのすべてが、この四聖諦に凝縮されているとまで言っています。
この四聖諦を僕なりを解釈してみようと思います。
まず苦諦
これは苦しみを明らかにすること。生きていることは苦しい。老いていくことは苦しい。病気は苦しい。死ぬことは苦しい。生老病死、すべてが苦である。
たとえ運良く、今は若く健康で死が遠くにあり、生きているのが楽しくて仕方ない人であっても、怒り、憎み、恐れ、絶望、不安、焦り、などなどネガティブな感情をひとつも感じずに生きていることはできないでしょう。その苦しみを明らかにすることが苦諦です。
次に集諦
それならば一体その苦しみはどこからくるのだろう?と自問していくこと。これは自分で探ってその感情にいきつき感じつくさなければ意味がないのですが、結論からいってしまえばそれは悲しみです。Macに入っていた辞書にもそうはっきりと書かれていました。
じひ1【慈悲】
① 〘仏〙 仏菩薩の衆生(しゆじよう)をあわれむ心。楽を与える慈と苦を除く悲とをいう。
「苦を除く悲」と。つまり自分の抱えているすべての悲しみを解かすことができたなら、苦は滅すると。
集諦というのが4つの教えのなかでも一番重要な部分だと思うので、ここを詳しく書いていこうと思います。
なぜ悲しみが全ての苦を滅することができるのか?
それはすべてのネガティブな感情の源が「悲しみ」から発生しているからである。怒りも憎しみも、恐れも、絶望も、不安も、焦りも元をたどれば「悲しみ」に行き着く。その前には大事な「孤独」と「罪悪感」もあるけれど、結局はそれらも悲しみである。
例えば怒り。怒りは誰かに向けられるものだけれども、その前に生じた内なる悲しみを思い出して欲しい。誰かに理解して欲しいのに理解しようともしてくれなかったり、慰めてもらいたいのに怒られたり、愛されたかったのに無関心でいられたり、ホントは大切なものを与えてもらいたかったのに、何も与えてもらえなかった悲しみがないでしょうか?
僕にはあった。認めたくないかもしれないけれど、みんなにもあるでしょう。生きてるのだもの。僕だって憂鬱と恐怖で人生がまみれていたけれど、悲しみはないな。なんて思っていたくらいです。そんな自分はなんて冷たい人間なんだろうなんてまた悩んだり。でもこのことにハッキリと気付いて認めたら、溢れるように涙が出てきました。
このように怒りはほんの一例だけどすべてのネガティブな感情もたどってみれば、だいたい「孤独」か「罪悪感」そして最後に「悲しみ」の結果として出ているのがわかる。
そうと解ってしまえばこちらのものです。あとは「悲しみ」を感じ尽くせば固まった悲しみは解けていきます。そのときに涙がでるのでしょう。「千と千尋の神隠し」級の涙がでます。そして流れている悲しみはもう自他を苦しめる感情にはなりません。むしろ自他を救うものに変容します。
ですから「悲しみ」が一番大事な感情なんだけれども、悲しみなど認めんぞ!という自分を守ろうとする心理的反応が、豊かに流れている悲しみを固まらせてしまうんでしょうね。
というわけで、すべての「内なる悲しみ」を解かすこと。それが苦を滅する唯一の道だと思います。「内なる悲しみ」ですから、別に誰かに怒りをぶつけることもしなくていいし、外でワラ人形に五寸釘を打ち込む必要もまったくなく、自宅でひとりこっそりとできます。苦しみと癒やしの源泉の悲しみに立ち戻り、ただむせび泣けばいいのです。ひきこもりの僕にもできるとても有難い教えです。ブッダよ、ありがとう!
追伸
4つの教えといいつつ、2つしか書いてないのをみなさんはお気づきだろうか。簡単にだけど、あと2つは道諦と滅諦です。正しい8つの道(八正道)を行けば、苦しみは滅することができるよ!ってことです。
でも「内なる悲しみ」をすべて癒やすことができない限り、八正道は正論すぎて苦しみの真っ只中にいる状態では、難易度インフェルノの無理ゲーというレベルなので、やっぱりまずは集諦からアプローチすべきだと思います(効果的なアプローチ方法は今度「ブッダとイエスとキネシオロジー」にて書いてみたい)。そして集諦のプロセスをすべて終えたらようやくスタート地点に立てるんだと思います。そこからようやく本当の人生が始まるはずです。そしてそこは同時にゴールだった!?と気づくのかもしれません。
最後に自分なりにアレンジした慈悲の瞑想をします。
これを今、読んでくれている方がうちに抱えている
悲しみのすべてが解けますように。
これを今、読んでくれている方がうちに抱えている
寂しさのすべてが解けますように。
これを今、読んでくれている方がうちに抱えている
罪の意識のすべてが解けますように。
私が幸せでありますように。
あなたも幸せでありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
合掌。