トリートReトリート

世界全体とわたくしが同時に幸福でありますように。ひきこもり修養所。

「方丈記」鴨長明の人生で一番楽しいこと

うたた寝をしていた。考え事をしながら。眠っているのか起きているのか。いつ眠りに入っていたのかも分からない感じ。

 

最近また「目的思考」が多くなってきた。そればかりになっていたのかもしれない。「何か」を作る。そのことで頭がいっぱいだった。それには企画、デザイン、プログラム、そして自分のやろうとしてることを伝えること、露出すること。

 

いろいろやらなければいけないことが多くて、自分のお腹からはみ出すぎている(いっておくが、お腹がはみ出ているわけではない。僕のお腹は至ってスリムなのだ。もはやガリガリと言ってもいい)。

 

しかし僕は今やろうとしてることが、本当にやりたいことなんだろうか?急に途方もなく自分のお腹に収まらない物事を、むりやり消化しようとして消化できなくなっているかのように、僕は動けなくなった(それでうたた寝ばかりしてるわけ)。

 

それはただ「体調」をここ最近崩してるせいだけなのかもしれない。母がインフルエンザにかかって僕もちょっと感染の兆しがある(頭痛とか咳とかうたた寝とか)。

 

僕の本当にやりたいこと、主としたい活動とはなんなんだろう?(まるで思春期の悩みです)そういえば去年、ある夢をみて起きた朝に、ふとこれからは小説を書こうと思った。そうしていくつか小説を書き、いくつかは完成した。

 

完成した小説を発表をする場は「ニコニコ動画」だ!と決めていた。私小説的なものなので、自分で朗読とかもしたりして(なんて恥ずかしい!)もしくは人工音声に読んでもらうことを考えたり、とにかく文章を「読む」という能動的作業をしなくても「読める」ようにしたかったのと、読者の反応がもらえるかもと思ったからだったと思う。

 

小説は何話か出来た。けど完成した小説の動画化ができず、未だに公開できていないわけだけど。

 

今日、妹と本屋に行ったとき「モテキ」の久保ミツロウの新作マンガが目についた。そしてさっきうたた寝しながら考えていたことは、久保ミツロウヒャダインの深夜テレビ番組(タイトルは忘れてしまった)で久保ミツロウが言っていた言葉だった。

 

「私は漫画が主。漫画を書きつづけてるからこうしてこういう番組にも出られる」

 

それにたいしてヒャダインも同意していた。僕はそのことを思い出していた。そして渡辺浩弐のことも。彼も作家が主としてあり、そこからテレビやニコ生の番組などをしている。

 

僕の主は何か、お金など入らなくても小説を書こうと思っていたのではなかったのか?しかしもしかしたら小説じゃなくてこういった散文的ブログでもいいのかもしれない。

 

昔書いていたブログを通して知り合った古い友人に、出来上がった小説の第一話を読んでもらったとき、「よく分からない。面白さとしては前に書いていたブログのほうが面白いと思う」といった感想をもらえた(正直な意見でありがたかった。お礼に今度ブログを厳選してまとめたもの(ゴミ)を送りつけてやろう)。

 

僕が書いた私小説的な小説の一話目の主人公はプロの作家を目指すわけじゃないと言っているが、どこかしら評価されたい気持ちも残っているじゃないかと僕は思った(まぁ奴のことはよく分かりゃしないが)。

 

とにかく小説は一応作品として残る(たとえクズのような作品でも)。ブログはツイッターほどじゃないけど、そのシステム上時系列に並ぶのだから流れる。

 

流れるままに。何も残さない。仏さまの教えでもっとも大切なことは「何にも、こだわらない」ことだという。何にも執着しないこと。それならブログに書き続けてそれで終わり。

 

小説としてなんて残さず、流れて終わりでそれでいいのかもしれない。

 

うたた寝する前に新井満自由訳「方丈記」を読んでいた。

 

方丈記」を書いた鴨長明は、この世は火事に竜巻、飢餓に病気に、地震、人との大変な関わり。そんな世界から離れて生きるために、人生の後半は出家して小さな庵「方丈庵」をたて、自然の豊かさを感じられる自由な生活を満喫した(そして「方丈記」にてこの山中ひきこもり生活かなりいいよ。まぁやってみないとわからないけどねと伝えた)。

 

けれど、人生もいよいよ最後にせまっているのにそんなこだわった生活について伝える「方丈記」をわざわざ書きつらね、何かを残そうと時間を無駄にしている私とは一体なんなんだろう?と。

 

方丈記」はそこで唐突に終わる。